2016年5月21日土曜日

5/21(土) 山上の垂訓① 幸いなるかな、心貧しき者。


「心の貧しい者は幸いです。 

    天の御国はその人たちのものだから。」

           マタイの福音書 53

イエスの権威と力にみちた御ことばを聞き、
愛に溢れたいやしのみわざを見た人々は、
ガリラヤから、デカポリス、エルサレム、
ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から
大ぜいの群衆が
イエスにつき従ってきたのです。

この群衆を見て、
イエスは山に登り、
おすわりになられました。

なぜイエスは座られたのでしょうか。

それは、
当時は今とは逆で、
ユダヤのラビ(教師)
正式に教える時には座って教え、
生徒が立って、教師の話を聞いたからです。
また座って教える時は、
正式に教える時で、
重要な大切なことを教える時や話す時には
こうしてすわって話したのです。

弟子たちは
イエスのみもとに集まってきました。

そこで、
イエスは口を開いて、
彼らに教えて言われました。

「心の貧しい者は幸いです。
 天の御国はその人たちのものだから。」

口を開いてというのは、
これから大切なことを語りますよという時に使われました。

つまりこの山上の垂訓、
あるいは山上の説教は、
とても大切なイエス・キリストの弟子たちへの、
そして群衆への教えだったのです。

では、心の貧しいものはなぜ幸い、幸せなのでしょうか。

貧しいとは、
無一文で全く何も持っていない者です。
普通は、そういう人は不幸な哀れな人です。

しかし、
本当に神の前に自分は全く何もない、
無一物だと知る時、
人は初めて、
本当に神にのみより頼む者となるのです。

心が貧しいとは、そういうことで、
いくら無一物になり、物質的に貧しくても、
心が高ぶっていては、幸いではありません。
神により頼まないからです。

心の貧しい者とは、
自分の心が、
全く無力であることを知り、
ただ神さまにより頼むしかない人のことで、
その人は幸いです。
と言っているのです。

弱さを感じている人、
自分の無力さに落胆している人、
もう自分に失望して、生きてい気力も失っている人、

あなたのうちにイエス・キリストがいてくださいます。
あなたの心にキリストが住んで下さっています。
イエスは決してあなたを見捨てません。

だから、この主イエスに、より頼みましょう。
イエス・キリストにすべてをかけてみましょう。

必ず、あなたは幸いなる者、
本当に幸せな者となるでしょう。

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