2016年4月30日土曜日

4月30日(土)  この方・イエス・キリストだけが、罪から救ってくださる方。

430()

 この方・イエス・キリストだけが、罪から救ってくださる方。


 マリヤは男の子を産みます。
 その名をイエスとつけなさい。
 この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。

天使が夢の中で、ヨセフに現れて、
マリヤ胎の中に宿っているのは聖霊によるので、
恐れずに妻として迎えるようにと語られた後、

さらに、天使は続けてヨセフに語りました。

「マリヤは男の子を産みます。
 その名をイエスとつけなさい。
 この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

この方、マリヤの胎に宿った方、
イエス・キリストは、私たちをの罪から救ってくださる方なのです。

罪の無かったこの方だけが、
あなたと私の罪の身代わりとなって、
罪の罰と罪のもたらす呪いと裁きと病気を、
その身に受けて、
十字架で私たちの代わりに死んで、
神であられた方が、
神に捨てられて、地獄に落ちてくださったのです。

イエス・キリストは、私たちと同じこの肉体を持たれました。
しかし、彼には罪がなく、罪を犯したこともありませんでした。

その方が罪そのものとなって、
私たちの代わりに十字架で裁かれたのです。

だから、私たちは、
あなたも私も罪が赦され、罪から救われるのです。

神に背を向けて、神様なしで生きる神に逆らう人生から、
向きを変えて、
悔い改めてイエス・キリストを信じるとき、
あなたも私も罪が赦され、罪から救われるのです。

永遠の命が与えられるのです。
この地上の人生を終え、この肉体が焼かれても、
やがて朽ちることのない罪のない完全な新しい体をいただいて、
天国で永遠に神と共に生きることができるのです。

2016年4月29日金曜日

イエス・キリストの誕生—聖霊によって身重になった






429日金曜日

  イエス・キリストの誕生—聖霊によって身重になった


イエス・キリストの誕生は次のようであった。
その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
  新約聖書 マタイの福音書118

今日はイエス・キリストの誕生についてです。
イエス・キリストの誕生については、
マタイの福音書とルカの福音書の2箇所に書かれています。
今日はマタイの福音書から見ていきましょう。

マリヤにはヨセフという結婚を約束した許嫁がいました。
当時は許嫁でも結婚したのと同じように扱われました。
とは言っても、結婚するまでは、決して夫婦関係、
すなわち性生活を持つことはありませんでしたが・・・

ところが、マリヤが身篭ったのです。
ヨセフはびっくりしたことでしょう。
とても驚き衝撃を受けました。

「信じていたのに・・
 あのマリヤが身篭ったなんて・・・
 本当だろうか、嘘であってくれ・・・
 でもいったい誰の子なんだろう。」

ヨセフは混乱し、どうしたらいいのだろうと思い巡らしていましたヨセフはショツクを受けていましたが、
それでも、やはりマリヤを愛していました。
それで彼は内密に、ひっそりと誰にも気づかれないように、
マリヤとの婚約を解消しようと思っていました。

そんなことを思い巡らしていると、
いつの間にか疲れ果て、そして眠りにつきました。

すると夢を見たのです。
その夢の中で主の使い、天使がやってきたのです。
天使はヨセフに言いました。

「ヨセフ、恐れなくていい。
 あなたの許嫁のマリヤを妻として迎え入れなさい。
 その胎に宿っているものは聖霊によるのですよ。」

そうなのです。
マリヤは男性との交わり(セックス)によって、
身重になったのではないのです。

その胎に宿った命は聖霊による、
つまり神によって与えられた命だったのです。

イエス・キリストは聖霊によって誕生しました。

イエス・キリストは神であったにもかかわらず、
私たちと同じ肉体を持つ人となってくださいましたが、

処女である乙女マリヤから聖霊によって生まれたのです。

イエス・キリストは、
罪人である人間の男女の営みによ伝生まれたのではないのです。

だから、イエス・キリストには原罪がなかったのです。

これは。とても大切なことです。

もしイエス・キリストが性生活によって人から生まれたのなら、
イエス・キリストは私たちと同じ罪人でしかありません。
もしそうなら、どんなに素晴らしい人であったとしても、
人間を礼拝したり信じる必要はありません。

しかし、イエス・キリストは神であられる方なのに、
私たちと同じこの肉体を持って人となってくださり、
聖霊によって生まれた罪のない方だったのです。

さらに天使の言葉が続きます。
それを明日また書いていきましょう。

2016年4月28日木曜日

4/28(木) 心を見られる真の神の真実と愛は深いー遊女ラハブの家族・親族は救われた!!!

4/28(木) 心を見られる真の神の真実と愛は深いー遊女ラハブの家族・親族は救われた!!!

イスラエル軍が、
ヨシュアに導かれてエリコに攻めてきたとき、
毎朝早く、
城壁の周りを回ったあとで、
祭司たちは角笛を吹きならしました。

そのときヨシュアは言いました。

「ときの声をあげよ。
   主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。
   この町と町の中のすべてのものを、主のために聖絶(全部殺すこと)せよ。
   ただし、遊女ラハブと、その家にともにいる者たちは、
   すべて生かしておかなければならない。
   あの女は私たちの送った使者たちをかくまってくれたからだ」

そこで祭司たちが角笛を吹き鳴らし、民がその音を聞いて、
大声でときの声をあげるやいなや、城壁が崩れ落ちたのです。
ヨシュアの軍はまっすぐ町に攻め上り、
イスラエル軍は完全な勝利を収めたのです。
ヨシュアはこの地を偵察したふたりの者に言いました。

「あなたがたが、あの遊女に誓ったとおり、
   あの女の家に行って、その女とその女に属するすべての者を連れ出しなさい」

斥候になった2人が行ってみると、
赤い紐を窓に結んだその家の中に、
すべての親族がいたのです。
彼らは、そのすべての者を連れ出して、
イスラエルの宿営の外にとどめておきました。
彼らはみんな助かったのです。

私たちの信じているイスラエルの神は真実なお方です。

この遊女ラハブの名を、神さまはイエス・キリストの系図に入れられたのです。

見せかけの体裁を気にする人はきっと思うでしょう。
こんな異邦人の遊女され入っていなければ、
キリストの系図ももう少し品が上がるのにと。

けれども私たちの信じている真の神さまは、
心を見られるのです。
全世界を創造し、歴史を導いておられる聖書の神さまは、
心の真実を見ておられるのです。

主は遊女ラハブをキリストの系図に記すことを恥とはなさいませんでした。
私たちの信じている神はこのようなお方なのです。

2016年4月27日水曜日

4/27(水) 遊女ラハブ-神を信じ家族を愛した信仰と愛に生きた人

4/27(水)  遊女ラハブ-神を信じ家族を愛した信仰と愛に生きた人


ラハブは、エリコの町に住んでいました。

ある日、イスラエルから2人の斥候がエリコの偵察に、ラハブの家に来たのです。
エリコの王さまは、すぐに斥候が偵察に来たことをかぎつけて、
使者をラハブのもとに送ります。

「おまえのところに来て、家にはいった者たちを連れ出せ。
その者たちはスパイなのだ。」

ところが、ラハブは、王さまの使者に嘘をついて、
この偵察の2人をかくまい、助けるのです。

ラハブは、イスラエルの神こそが、真の神であり、
必ず勝利することを信じていたのです。
だからこそラハブは自分の生命をかけて、王に背いてまでも彼らを助けたのです。

そして、彼らに懇願しました。

「あなたがたイスラエル人が、必ず私たちに勝つことを、私は知っています。
あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。
どうか私があなたがたに真実を尽くしたように、
あなたがたも私の父の家に真実を尽くすと、いま主にかけて誓ってください。
私の父、母、兄弟、姉妹、またすべて彼らに属する者を生かし、
私たちのいのちを死から救い出してください」

このとき、ラハブは自分の命だけではなく、
自分の父、母、兄弟、姉妹など自分の家族、親族の命まで、
この2人の斥候に助けてくださいと頼むのです。

彼女の真の神への信仰は、同時に家族への愛と、一つとなって働いたのです。

ラハブはエリコの町に住んでいる遊女でした。
いつからそんなふうになったのかは、わかりません。
ただ、いまではもう遊女に落ちぶれてしまった彼女は、
親戚から白い目で見られていました。
家族からさえも「家族の恥、お荷物」と言われ、勘当されていたことでしよう。

でも、この時ラハブはもう家族を恨んだり、憎んだりしてはいなかったのです。
家族のことを、どんなに落ちぶれても、今もなお、心から愛していました。
王に背いてまでも家族の命乞いをするほどに、
イスラエルの神を信じ、家族と親族を愛していたのです。

私たちの神は心を見られます。
このラハブの心を神は見ておられました。

2人の使者はラハブに言いました。

「あなたは私たちを助けてつり降ろしてくれたこの窓に、
この赤い紐を結びつけておきなさい。
そしてあなたの家に、あなたの父、母、兄弟、
またあなたの父の家族を全部集めておきなさい。
あなたの家の戸口から外に出ないで、
あなたといっしょに家の中にいるならば、必ず助け出そう…」

「おことばどおりにいたしましょう」

2人が去ったあと、ラハブは窓に、その赤い紐を結びました。
そして父と母のところへ、
おばさんやおじさん、お兄さんやお姉さんのところへ行ったのです。

おそらく彼らは、
すぐには遊女になったラハブの言うことなどに耳を貸しはしなかったでしょう。
それどころか、おまえが来ると、隣近所に恥ずかしいと言って、
追い返した人もいたことでしょう。

けれどもラハブは行きました。
何度も何度も行きました。
何を言われても、どんな顔をされても、
ラハブは、彼女の愛する家族のところに行き、
そして彼らに言ったのです。

「もうすぐイスラエル軍が来る。
そうしたら、エリコの町は完全に滅ぼされてしまう。
そして、私たちもみんな殺されるでしょう。
イスラエルの神こそ真の神だからです。
彼らが負けることなどはありません。
けれども、私の家に来てください。
私が助けたイスラエルのふたりの斥候が、
私の家にいっしょにいるなら助けてくれると約束してくれたのです
あの赤い紐がしるしです。
早くしてください。
お願いです。信じて下さい。
もう時間がありません」

彼女は、何回も何十回も一生懸命言いました。
渋る家族の人々に、真剣な眼差しで、心を込め愛を持って訴えたのです。

そして、彼女の主に対する信仰と家族への愛が勝ちました。

ひとり、またひとりと家族が、親族が、
赤い紐を結んだ彼女の家にやって来ました。

私は思うのです。
一番最後に来たのは、きっとお父さんだったのではないかと…。
牧師になって、そう思うようになりました。
もちろん天国に行ってからイエスさまに聞かないと本当のところはわかりませんが…、でもやっぱりお父さんが最後に来たと思います。)

2016年4月26日火曜日

4/26(火)  キリストの系図に連なる人々とは

4/26(火)  キリストの系図に連なる人々とは

新約聖書の一番最初のマタイの福音書は、
カタカナだらけの人の名前から始まります。

アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図

いきなり、なぜ系図が出てくるのかというと、
このマタイの福音書は、
ユダヤ人に「イエス・キリストを紹介するために書かれた書物(福音書)だったからです。

ユダヤ人にとって、その人が本当にユダヤ人かどうかはとても重要です。
だから最初にイエス・キリストは、間違いなくユダヤ人として生まれたということを、
この系図を載せて明らかにしているのです。

私たち日本人には、この系図に出てくるカタカナだらけの名前は、
ほとんど馴染みのないものばかりだと思いますが、

ユダヤ人たちにとっては、馴染みのある名前なのです。

例えば私たち日本人だと、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、といえば馴染みがあるように。

実は、この系図には40名の名前が出てきますが、
このカタカナだらけの40名の名前は、彼らにとっては馴染みのある大切なものなのです。

そして、このイエス・キリストの系図の中に、
なんと女性の名前が4人も出てくるのです。

しかも、そのうち2人は異邦人-つまりユダヤ人ではないなのです。
そのうえ、その2人の異邦人のうち一人は遊女でした。

女性を系図の中に入れることは、当時としては珍しいことでした。
まして選民意識が非常に強いユダヤ人にとって、
異邦人の女性の名を記すだけでも普通のことではありません。

ところが異邦人の女性どころか、
遊女の名をイエス・キリストの系図の中に入れたのです。

これは驚きです。

聖なる神様、義なる神様がどうして、こういうことを許されたのでしょうか。

神さまは、それをよしとされたのでしょうか。

考えてみてください。
もし、みなさんが自分の系図を書くとしたら、
わざわざ遊女をその中に入れるでしょうか。
普通なら、消して、省いて、取り除いてしまうのではないでしょうか。

ところが神さまは、
わざわざキリストの系図の中に、
この遊女「ラハブ」の名を記したのです。

その中に神様の愛の大きさ、
そして聖書の神様は、うわべではなく、心をご覧になる方であることを知ることができるのです。

この「ラハブ」について、次回、書いてみたいと思います。

2016年4月25日月曜日

4/25(月) 聖書って、感動がいっぱいー「系図に隠された神様の愛」

4/25(月) 聖書って、感動がいっぱいー「系図に隠された神様の愛」

 あなたは、今まで聖書を手にとって、読まれたことはありますか?
おそらく、多くの人は、まず新約聖書を開かれると思いますが、
すると、いきなりカタカナだらけの、
日本人には、なじみの薄い名前ばかりが出てきます。

たいていの人は、これでもう聖書を読むのを止めてしまいます。

韓国にある世界で一番大きなプロテスタントの教会の牧師の方が
初めて聖書を読んだとき、こう言ったそうです。

「これなら電話帳を読んでいる方がましですよ」

なるほど、そう思うかもしれません。

でも実は、このカタカナだらけの名前の中に、
すごい感動がいっぱい入っているのです。

それを、あなたが知れば、
あなたも、きっと、もっともっと聖書を読みたくなられるでしょう。
そして聖書が語っている「イエス・キリスト」という方に、
あなたも出会ってみたくなられるにちがいありません。

これから、その感動の一部をここに書いていきたいとと思います。

最後まで、ぜひお付き合い下さって、読んで下さいね。
必ず「イエス・キリスト」に出会って、本当に良かったと、あなたは思われるでしょうから・・・。