2015年12月31日木曜日

最後の夜を過ごした時津にて

26人の殉教者たちが最後の夜を過ごしたのは、時津の海の沖でした。

1597年2月4日、
彼杵の海から3隻の船に乗せられ、後ろ手に縛られた彼らは時津につきます。

しかし、上陸することは許されませんでした。
キリシタンの町だった時津に上陸したら、
キリシタンたちが殉教者たちを奪いにくるかもしれない、
そう思って心配した役人たちは、彼らが上陸することを恐れて許しませんでした。
そんなテロのようなことはしないのですが・・
役人たちは恐れたのです。

凍てつくような寒い夜を彼らは時津の沖で過ごしました。
後ろ手に縛られたまま、体を寄せ合い、賛美し祈りながら彼らは過ごしたのです。

その時津で、かつて祈ったことがあります。

「どうして26人の殉教者たちには、このような信仰が与えられていたのだろう。
 あの3人の少年たちの持っていた主への愛と信仰、
 そして天国の希望はどこで育まれ培われたのだろうか」と。

私は時津の港をゆっくりと歩きながら、主に祈り主に聞きました。

その時、主は静かに、しかしはっきりと答えられたのです。

「それは家族である。」と。

殉教者たちが育まれた、彼らの家族には神の愛が注がれていました。
主イエス・キリストへの信仰を中心とした神の愛があつたのです。

それは、
主のために自らの命を捧げて
家族を主に委ねることができるほどの信仰でした。

家族の誰かを失っても、彼らは主を信じ愛し続けました。

彼らは天国で再会できることを知っていたのです。
彼らは、この地上では旅人であり、寄留者であることを告白し証ししていたのです。

このような信仰の家族がかつて日本にあったのです。
これは驚きであり、希望でもあります。

再び主は、このような家族を、
 この終わりの時代に起こしてくださっているのでしょう。

黙示録の時代が近づいている今、
 迫害と殉教時代のリバイバルの働きのために、
 日本にこのような家族を、再び建て上げてくださっているのです。

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