2019年7月19日金曜日

悪から救い出してくださる神

719日(金)

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。

          マタイの福音書613


「主の祈り」は最後に
「私たちを試みに合わなせないで、悪からお救いください」
と祈ります。
私たちと言われていますから、
自分だけではなく、自分も含める私たち、
教会、家族、仲間や友人、同僚や同胞、
のためにも祈りましょう。
試み、つまり試練や困難に会わないように。
もちろん、御心の試練や困難は
私たちを成長させ祝福となります。
でも不必要な試みには会わないですむように、
余計な回り道をして傷つくことのないように、
主に祈りましょう。
私たちの国が、教会が、学校や会社が、
主の御心と違う道を選んで
試みに会わないですむように祈りましょう。
そして、
主の許しの中で起こってきた困難、問題、
苦しみや悲しみ、病気や呪いと思えるような状況、
そのような悪から、
まるでサタンの仕業と思えることから、
悪霊に取り憑かれたと思えるような状況から、
救い出してくださるように
主イエスに祈り叫びましょう。
主はその叫びを聞き、
祈りに必ず答えて助け出し、
救い出してくださいます。

2019年7月18日木曜日

十字架の赦しを受け取り自分を赦し、人を赦す

718日(木)

私たちの負いめをお赦しください。

私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

           マタイの福音書612


「主の祈り」の中には赦しの祈りが出てきます。
これは、とてもとても大切な祈りです。
十字架の恵みと力を解き放つからです。
「私たちの負い目をおゆるしください」と言って、
自分の罪を悔い改めます。
主の完全な赦しをいただいて、
自分も他人の罪を赦すのです。
この悔い改めと赦しはとても大切です。
十字架にしっかりと目を向け、
自分の罪が完全に赦されたことをしっかりと受け取りましょう。
あなたも私も完全に、
そうです、完全に赦されているのです。
そして、その罪さえも悔い改めたならば
神の憐れみの中で
益としてくださり最善へと変えられるのです。
それが十字架の計り知れない恵みの深さ大きさです。
そして人の罪を赦すのです。
人から受けたいろんな罪、
侮辱、屈辱、暴力、裏切り、
いろんなことがあると思います。
とても許せないこともきっとあることでしょう。
許せなくても当然で当たり前と
思えることもあるかもしれません。
それでも、十字架を見上げて、
自分が赦されたことの恵みの大きさと愛を噛みしめて、
主に助けを求め祈るのです。
そして「私たちに負い目のある人を赦しました」
と自分に向かって宣言しましょう。
赦すなと叫んでいるサタンに向かって、
はっきりと宣言しましょう。
その時、あなたは自由になります。
そしてあなたの祈りは天に届き答えられます。
十字架の力と愛が、あなたの祈りに注がれ流れてきます。

2019年7月17日水曜日

遠慮せず、大胆に、具体的に求める

717日(水)

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

          マタイの福音書611


「主の祈り」は御名をあがめ、
御国が来るように祈った後、
とても具体的な祈りになります。
「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」と。
今、日本で日ごとの糧を今日もお与えくださいと
真剣に祈っている人はほとんどいないと思います。
神の恵みの中で毎日の糧は与えられているからです。
でも、毎日いろんな必要があると思います。
経済、つまりお金だけではなく、
人や能力、仕事のこと、学校のこと、
結婚や家庭の事、人生のいろんな選択等々、
その一つ一つを丁寧に具体的に求めるのです。
遠慮せず厚かましいぐらいに
大胆に具体的に求めるのです。

主イエスは、
あなたの必要をよく知っておられて、
その一つ一つに見事な最善最高の答えを与えてくださいます。

2019年7月16日火曜日

主の御心が最高で最善!

716日(火)

御国が来ますように。

ルカの福音書112節後半


イエスさまが弟子たちに教えられた「主の祈り」は、
まず「父よ。御名があがめられますように」と祈った後、
さらに続けて、こう祈りなさいと主は言われました。
「御国が来ますように」
これは天で御心が行われるように、
このサタンが支配している地上でも、
父なる神の御心が行われるように祈りなさいと言われたのです。
つまり、神が完全に治められて、
神の完全な支配が現されるようにということです。
支配というと日本人は悪いイメージを持ちますが、
そういう意味ではありません。
愛である憐れみに富んでおられる神さまの
最善にして最高の御心が、
この地上に現されてくるようにということです。

聖書のまことの神様は、
私たち一人一人を命をかけて愛して下さっています。
この上もない最高の愛で、愛して下さっています。
ですから、この方の御心がなる時、
必ず一人一人に
最善にして最高の御業と導きが与えられるのです。
ですから、そのことを祈った上で求める時、
求めた通りのものが与えられる時もあれば、
求めたこととは違う導きが現される時もあります。
しかし、それこそが実はその人にとって最善なのです。
私たちは自分にとって
何が一番良いかをよくわかっていません。
でも神様は知っておられます。
そして
その一番良い最高のものを与えてくださり導いてくださるのです。
だから「御国が来るように」と祈り、
それから求めるのです。
とはいえ、思わずも主に向かって、
心から求めたり、助けてと叫ぶとき、
主は順番が違うなどとは言わず、
その心の叫びと求めを聞いてくださいます。
安心して求め叫んでください。
ただ毎日の祈りの生活の中で、
この「主の祈り」を、
その意味の深さを知って心を込めて祈る時、
より大きな神の愛と恵みに預かることができるのです。

2019年7月15日月曜日

まず父なる神に目を向けほめたたえる

715日(月)

父よ。御名があがめられますように。

      ルカの福音書112節前半


弟子たちがイエスさまに祈りを教えてくださいと言った時、
イエスが弟子たちに教えられたのが「主の祈り」です。
この祈りは全世界で最も祈られている祈りでしょう。
この「主の祈り」の最後の方に
「試みに合わせないで悪よりお救いください」
という助けを求める叫びにもにた祈りも出てきます。
私たちは日常生活の中で、
困難に出くわすと「あれを何とかして下さい」とか
「この病気を直してください。この困難から助け出してください」
「この苦しみを、これ以上放っておかないで救って下さい」
というように祈ります。
もちろん神さまは、
これらの祈りをしっかり聞いて答えてくださいます。

でも、この「主の祈り」では、
それらを祈る前にまず、
こう祈りなさいと言われたのです。
「父よ。御名があがめられますように」と。
つまり天におられる父なる神に目を向け、
その神の御名、
つまり神の実質である神の愛(アガペー)、
聖(きよさ)、真実(裏切ることなく偽ることがない)、
恵みと憐れみに満ちておられる等々が、
あがめられ、ほめたたえられるようにと。
求めて叫ぶ前に、
まず神に目を向けて、
神ご自身の素晴らしさをほめたたえなさい
と言われたのです。
確かに、神に目を向け、
神ご自身をほめたたえる時、
私たちの内側に信仰が与えられてきます。
なぜなら、神をほめたたえている、
そのことは真実であり、
その言葉は神の言葉なので、
私たちの内側に力強く働いて信仰を生み出すからです。
例えば、主は聖なる方という時、
それは真実な神の言葉です。
そのことを心から主である神に向かって祈る時、
その主の聖さ、
神の聖が私たちの内に注がれてきて、
私たちの内に信仰を生み出していきます。
どんな困難にぶつかっていても、
きっとこの方なら助けてくださる
という信仰が与えられてくるのです。
主をほめたたえる前に、
主よ助けてくださいという時、
私たちは目の前の状況にばかり目がいき、
神に不可能はないと思いながら、心の中で、
これは無理かもしれないという不信仰が起こってきます。

でもまず主に目を向けて、
主をほめたたえる時、
目の前の状況を神の視点で見て、
主の眼差しで祈ることが出来るようになるのです。

2019年7月14日日曜日

神のことばに立つ

714日(日)

目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。

男らしく、強くありなさい。

いっさいのことを愛をもって行ないなさい。

                      コリント人への手紙 第二161314


終わりの時代、多くの誘惑と惑わしが起こってきています。
イエス・キリストは何度も
「目を覚ましていなさい」と言われました。

パウロもコリントの教会の人々へ、
手紙の最後にしっかりと目を覚まして、
堅く信仰に立つことを勧めています。
堅く信仰に立つとは、
みことばにしっかりと立つ、
みことばに根を下ろして、
人の言葉や価値観、周りの状況や環境に
振り回されるのではなく、
神様の与えられた言葉、
神の言葉である聖書の言葉に
しっかりと心を定めて歩むことです。
眼に見える状況や人の言葉によってではなく、
変わることのない神の言葉にしっかりとたち、
男らしく強く、
つまり主イエスに信頼し、
動じないでいることです。

そして、神の言葉に従って、
いっさいのことを愛をもって行いましょう。

2019年7月13日土曜日

死は復活への道!

713日(土)

私にとって、毎日が死の連続です。

     コリント人への手紙 第一1531


イエス・キリストが
人となって地上に来てくださった時、
キリストの使命は、
全き人として生涯を歩み、
人間の罪の身代わりとなって裁きと罰を
その身に負って十字架で神に捨てられ
よみである地獄に行くことでした。
もちろんキリストは
必ず復活することを信じておられましたが、
イエス・キリストがなされたのは、
神に棄てられ地獄に堕ちるところまででした。
そのあとの復活は
父なる神様が聖霊様の御力を持って
イエス・キリストを死から復活させられたのです。

私たちも、イエス・キリストに従う時、
パウロのように死を通ることがあります。
主イエスに従うと
罪人である肉なる私たちは死を通されます。
その死を通して
肉なるものが砕かれていくのです。
そして主イエスの恵みと父なる神の愛の中で、
その死を通して復活の力に預かり、
聖霊に満たされて
主の御心の中を歩めるように
整えられていくのです。

主のしもべであったパウロは
「私にとって毎日が死の連続です」と言いました。
しかもそのことを
「これは、私たちの主キリスト・イエスにあって
 あなたがたを誇る私の誇りにかけて、
 誓って言えることです」と言ったのです。

あなたも主を愛して従っていく時、
死を通されることがあるでしょう。
しかし、そのことを喜び、
主イエスが、その死を通して、
肉なるものから聖霊の器へと
復活させてくださる恵みと勝利に
預からせてくださることを信じて誇りましょう。

2019年7月12日金曜日

愛と賜物、預言することを熱心に求める

712日(金)

愛を追い求めなさい。

また、御霊の賜物、

特に預言することを熱心に求めなさい。

     コリント人への手紙 第一141


聖書の中で最も大切なものは「愛」です。
アガペーの愛ですね。
でも聖書では、
それに続いて、また、
つまりその愛と同じように「御霊の賜物」
特に預言することを熱心に求めなさい
と言っています。

私たちが御霊の賜物を熱心に求め用いていくと、
特に預言を語り続けていこうとすると、
どうしても愛がなければ
用い続けていくのは難しいことがあります。
愛をはじめとする御霊の実と御霊の賜物は
どちらかが必要なのではなく、
どちらも必要であり、
主に従っていく中で、賜物は発展し、
御霊の実、愛も成長していくのです。

愛することを実践し続けていく中で、
御霊の賜物を用い続け、
熱心に預言を語り続けていきましょう。

たくさんの方々が
イエス・キリストの救いに預かり
永遠の命の中に入れられていくでしょう。

2019年7月11日木曜日

永遠に残る「アガペー」の愛

711日(木)

     こういうわけで、

いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。

  その中で一番すぐれているのは愛です。

              コリント人への手紙1313


私たちが生きているこの地上は永遠ではありません。
いつか終わりが来、そして滅びます。
私たちにも死という終わりがあります。
しかし、それで終わりではありません。
死は終わりではなく永遠への始まりです。

イエス・キリストの十字架を信じ、
その愛を受け入れた人々には永遠の命、
神と共に永遠に生きることができるのです。

地上のものはいつか朽ちていきます。
しかしいつまでも残るもの、
永遠に朽ちないものがあります。
それが信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。

この愛は「アガペー」の愛です。
つまり神の愛なのです。
十字架で示された神の愛の極み、
この愛であなたも私も愛されています。
その愛を今も注がれているのです。

イエス・キリストを信じて
キリストと共に歩き始めると、
その愛の中を歩むことができます。
その永遠の愛の中を
共に歩き続けていきましょう。

2019年7月10日水曜日

教会はキリストのからだ

710日(水)

あなたがたはキリストのからだであって、

  ひとりひとりは各器官なのです。

                     コリント人への手紙 第一1227


聖書では、教会のことをからだに例えています。
教会はキリストのからだで、
ひとりひとりは各器官だと言っています。
人間のからだが、ただ一つの器官だけではなく、
多くの器官から成り立っているように、
教会にも様々な器官があり、どの器官も必要なのです。
例えば、目が手に向かって
「私はあなたを必要としない」と言うことはできませんし、
頭が足に向かって
「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。
それどころか、
からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、
かえってなくてはならないものであることに気づきます。
実際、私たちは、
からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、
ことさらに尊んで、見ばえのしない器官には、
ことさらに良いかっこうにしますが、
かっこうの良い器官にはそのような必要がありません。
神は、劣ったところをことさらに尊んで、
からだをこのように調和させてくださったのです。

それは、からだの中に分裂がなく、
各部分が互いにいたわり合うためです。
もし一つの部分が苦しめば、
すべての部分がともに苦しみ、
もし一つの部分が尊ばれれば、
すべての部分がともに喜ぶのです。

同じように、
教会である私たちもキリストのからだであって、
ひとりひとりは各器官なのです。
必要でない器官など一つもないのですから、
お互いをいたわり合い愛し合いましょう。